HISTORY
伝統と最先端の融合が革新的なサーフボードブランド それがディックブルーワー サーフボードです。近代サーフィン史を語るとき、シェイパーで必ず名前が挙がるのがディックブルーワー です。彼が創造したその革新的なボードデザインは、現代ボードデザインの礎となっており、現在活躍しているシェイパー達は、少なからず彼の影響を受けているはずです。彼の教えを受け現在も活躍する有能な数々のシェイパー達、その時代を彩ってきたサーファー達の名前を挙げれば理解することは、容易でしょう。
ゲーリー・リンデン、 アル・メリック、 ドナルド・タカヤマ、 ジミー・ルイス、デビット・ヌヒワ、 ブルース・ジョーンズ、 ナット・ヤング、 リノ・アベリラ、ジェリー・ロペス、 オウル・チャップマン、 エディ・アイカウ、 マーク・リチャーズ 、 マイケル・ホー、 ブライアン・ケアウラナ、 べティア・デビット、 レイアード・ハミルトン、 etc
“DICK BREWER SHAPED ME A SURFBOARD THAT NOT ONLY GIVE MY OWN SURFINGA HUGE STEP-UP BUT ALSO TURNED THE ENTIRE SURFING WORLD ON ITS HEAD.THAT SURFBOARD WAS THE OPENING SHOT OF THE SHORTBOARD REVOLUTION.”
近代サーフボードデザイン史に、必ず名前が挙がる"MASTER OF SHAPER"であるデイックブルーワー は、1961年にハワイでBREWER SURFBOARDSをスタートさせました。
そしてBREWERブランドは、一気に圧倒的な支持を受ける様になりました。
1962年のマカハ•インターナショナルでは、大会出場者の半数以上が、ブルーワー サーフボードでエントリーしていました。
1964年にシェイプに集中するべく、ベースをカウアイ島に移し、1965年、栄光の大会デューク•カモナハク•インビテーショナルで、ジェフハックマンがブルーワー のボードに乗り優勝し、以降ブルーワー ブランドとそのシェイプは、黄金時代を築いていきました。
彼がブランドを創設しておよそ40年が経過し、2000年代、未だ記憶に新しいワイメアでの"エディ•アイカウ•メモリアル"狂気のチャージとピンボールでの歴史に残るパフォーマンスで、その栄冠と全世界からのリスペクトを掴み取ったブルース•アイアン、そして2011年11月11日ポルトガルでの新たなギネス記録である90フィートの波をメイクしたハワイのBIG WAVE SURFERであるギャレット•マクナマラ、彼らが命を預けたサーフボードは、ブルーワーサーフボードでした。
ブルーワー のストーリーは豊富で、その全てを説明するには、壮大な時間とスペースを要するもので、サーフィン史において最も影響を与えたシェイパーです。
日本サーフィン界のパイオニアの一人であり、創世記からの歴史を全てシーンの中心で見続けてきた長沼一仁。1973年に”MASTER OF SHAPER” ディックブルーワー と出会い、日本での ”BREWER” をスタートさせました。ディックブルーワー の経験から生まれ培われた技術とDNAは、シェイパー陣に受け継がれ、伝統と最先端を融合させたJAPANメイドのサーフボードを生み出し続けています。
FACTORY
Brewer Japan Factory Teamは、常に最先端を行く技術と最高のマテリアルをサーフボードメイキングに反映する、世界に誇るプロフェッショナルチームです。
SHAPER
Kazuhito Naganuma
1950年生まれ/サーフィン歴45年/シェイプ歴45年
日本のサーフィン界のパイオニア。
創世記からサーフィン・シェイプともに才能を発揮し、他の追随を許さなかった。
ディックブルーワー から伝授されたシェイプ・スキルと哲学をもとに、日本の波に合わせたボード作りをコンセプトに自らのシェイプスタイルを確立させる。
そのライフスタイルは多くのフォロワーを生み、現在も師であるディックブルーワー の意志をライダーやシェイパー、ユーザーに伝えるべく活動している。
その姿は、まさに日本のブルーワーである。
SHOEZY
サーフボードファクトリーでのキャリアをスタートさせて
30年以上が経ち、手がけたサーフボードも現在までに2万本以上。
ブルーワーサーフボードのシェイプTEAMからは勿論、世界中のサーフボードを研究し、様々な知識を蓄積してきました。
シェイプはもちろん製作工程の全てにこだわりを持ち、
最高峰のJAPAN QUALITYとして、品質は絶対に欠かさず、高性能で、完成度の高いボードを提供しています。